念願の転院をしました~3ヶ月もいたので別れが辛かった~食事などの制限~退院を見据えたリハビリ
ありさはついに念願の転院をしました!発症から3ヶ月。すぐに退院できるかと思っていたので予想外の長期、しかも大変な状態の直後。私は運がいいですね!
手術の後
大変な状態を乗り切りました
お医者さんも生き抜くとは思っていなかった壮絶な状態を乗り切りました。
医療チームさんをとても信頼出来ました
お医者様から予告されていた大変な状況は2週間も続き、後から言われましたが誰も生き抜くとは思っていなかったそうです。途中で私はとても良い状態で目覚めました。まだ続くと言われましたけど、医療チームさんがとっても頼もしく思えて、私はなんの心配もなく目を閉じることが出来ました。
術後
大変な状況の2週間の中で私は大きな手術を2度受けた形です。私のおうちの人達は乗り切って安心しきっていましたが、医療チームさんは術後対応に入ります。
去年までが暢気だった比較もあると思いますが、私は術後の緊迫したリハというのを初めて体験します。私の術後は時間勝負なのだそうです。リハ=のんびりという先入観のあった私&おうちの人は次第に緊張し始めます。
今まで当たり前にしてきた呼吸や嚥下。年を取ると噎せ易くはなるのはなんとなく知っていました。でも、唾や食事は食道へ、呼吸は気管への器用な切り替え操作を行っている喉。私は唾を飲み込むのに初めて緊張をしました。人間ってすごいですよね。
詳しく書きませんが私は若干思考が緩くなったんだそうです。自覚はありません。上肢のリハも始まりました。腕や手が使えないっていうのは不便ですね。でもそのくらいで済んだ私は幸運だったと思います。
転院
禁句「転院」が解禁
今まで禁句のょうにお医者さんや看護師さん始め医療チームさんから決して言われなかった”転院”。私はもう永久に転院出来ないのかも、おうちに帰れないのかなと正直思っていました。想定されていたあの大変な2週間の後も好転しない可能性も指摘されていました。任せて下さいとは力強く何度も言って下さっても、大丈夫とか楽観視するような言葉は決して言われませんでした。嘘はつけないんでしょうけど私は受け止めるのに時間がかかりました。
それが目覚めたら噓のように、接頭語のように”転院したら”と言われるようになりました。あんまり言いませんが、私は素直にとても嬉しいです。
転院日が決まる
シビアなリハが続き、ドレーンが取れて、私はお医者様の説明を受けます。私は保険を使っていないせいか、けっこう豆に説明があるのですが、この日の説明はなんか人数がやたら多いです。転院先は既に決まっていて部屋も確保されているのですが、なんとこの日の説明で転院予定日が告げられました。しかもすぐです。喜んだんですが、ちょっと急で驚きの方が大きかったです。
何度も書いていますが、ここは本来長くいるような病棟ではありません。私が特別過ぎたのです。私の部屋は少し離れていますが、それでもバタバタした雰囲気が伝わってきます。私は同じフロアにいる方の冥福を沢山祈りました。次は私かもなってそのたびに思いました。
いざ転院を告げられると、3ヶ月もいたので医療さんたちみんなに愛着が湧いていて少し寂しいです(笑。でも念願の転院です。喜ばないといけません。
関西弁との別れ
私は大阪で育ちましたが、両親はもうおらず一人っ子で親族とも疎遠なので関西にはもう居場所がありません。そんな中で関西に転院して、少し思う事もありました。神様は私に何か言いたかったんですかね。神様を信じない私はまわりにその事は言いませんでした。
でも私が関西と分かると、医療さんたちは普通に関西弁を使ってくれました。なんかほっとしましたね(笑。元府民で良かったなって思いました。みんな笑顔で見送ってくれました。私は少し泣いちゃいました。ありがとう。
長い移動
詳しく書けないのですが、大阪から東京への移動です。健康なら簡単な移動も、今の私にはなかなか大変です。
調理師さん用に買ったうちは引き払う予定でしたが、今度からうちらでお世話することになった輪島の方に使ってもらう事にしました。
新しい病室
無事に新しい病院に入ります。みんな歓迎して下さいました。今までと違うモニター音がなんか慣れなくて眠いのに寝付けません。
執事が入ってきて壁に大阪から持ってきた私の絵の額を飾ってくれます。単純な事のようですが、病室に個人の額を飾るだけでかなりの病院側との交渉を要します。ありがとうね。何からなにまで。そしてまたサンキライ(サルトリイバラ)を活けてくれました。
東京
近くなった
ここはすぐ来れますので、と執事。今まではうちうから遠かったので来院するのは大変でしたが、これからは近くなります。遠くて心苦しかったので少し安堵です。
東京は久々
最近は東京は日帰りが多かったので久々です。
北京から帰ってきてサラリーマン時代に少し住みました。私は外勤だったので帰って来ても趣味の料理だけちょこっとやって寝るだけでしたね。昼は日本の会社とかの対応して、日本の夕方に欧州中東が朝を迎えて対応、日本夜中に米東海岸が朝になって対応、帰って少し寝て、日本早朝に米西海岸とのやり取り、そして日本の朝で日本の社内や日本の会社とやりとり開始。なんか地球が丸いのを恨めしく思っていたサラリーマン時代でしたね。許されなかったんでやらなかったですけど、住んでいいなら会社に布団持ってって会社で寝たかったですね^^;
出張が好きになったのは東京にいる頃ですね。出張中だと現地の夜は対応しなくていいんです。なんで行きたい国に仕事作ってしょっちゅう出張してましたね(笑。日本にいるより断然楽だし、時間作って観光地とかに遊びに行けたりしたしね。
東京は世界中の料理が食べられる
東京の一番の魅力は、世界中の美味しい料理が食べられることです。海外の友達も同じこと言います。少し高いですけど、お金出せばわざわざ旅行しなくても世界中のほぼ全ての料理が食べられるのが東京の魅力です。
東京は為替の関係もあって、外国人から見ると物価が驚くほど安いです。牛丼が500円しないで食べられるのは(印や南アなどを除き)日本だけです。外人は日本に来てみんな驚きます。牛丼やラーメンは欧米では2千円くらいします。日本人の平均給与は欧米の半分くらいですからね。
そして間が無くて、世界中の料理を食べるのは、欧米に比べても高いです。紹介でないと入れないお店が多いのも現代東京の特徴かもしれません。
食事制限
そんな食の東京にいて、美味しい物を食べたくなりますが、私は食事制限があります。まー仕方ありません。生き延びたんで良しとしましょう。
私は心不全とかってわけではないので、今後は緩和されていくそうです。料理趣味っていうかグルメ趣味の私にとって一番厳しいと感じるのは、塩分制限です。塩を使う料理は多いので痛いですね。
塩
私は白いご飯も大好きですが、結婚後は朝はパン食にしていました。何故かというとパンというのは大量の食塩を使うからです。
高齢になって成人病とかになると、多くの病気で塩分が制限されます。塩っていうのは、もろに水を体に溜めるナトリウムそのものなのでどうしょもないんです。塩分制限は、介護を少しやっていると、痛感します。満遍なく塩を各料理で減らすと不味くなって満足出来ないので、思い切って一品からほぼ全て塩を使わずに、特定の1~2品に塩を重点的に使うといった工夫をします。そうすると満足を感じる人が多くなります。
高齢になると塩を食べれなくなるので、若いうちにいっぱい塩をふんだんに使う料理を食べておこう!っていうのが私の作戦です。だから朝食はご飯は好きだけど敢えて和食にせず、大好きなクロワッサンを食べるのが常です。
私の作るクロワッサンの塩分量は0.4gですが、だいたい私は2~3個食べるので、0.8~1.2g。クロワッサンだけでこの量です。フレンチドレッシングは大さじ1杯で1gの塩が入っています。シャウエッセン(ソーセージ)は0.3g×3個、ベーコン0.5g×2個の塩を使用など。私の朝食1食で私は7gの塩を摂っています。
なんだそれだけかと健康な方は思うかもしれませんが、日本の保険医で、成人病の方が言われる塩の制限目安は日に6g。1日3食として÷3で1食たった2g。料理やってる方なら分かると思いますが、日に6gで美味しく料理を作るのは相当工夫しないと無理です。
なので私は食べれるうちはパン食にして、歳とったらご飯中心の和食にするつもりです。
一般病棟
急変はありえる
私は波形とかデータ的にはVfにはなりにくくなりましたが、まだ起こりえます。これは退院してからも同じなのですが、病院にいるうちは大丈夫かもしれませんが、様々な環境でいつが最後かは分かりません。データ的には良くなりましたが、ああいう過激な状態にならないというだけで、私はそんなに長くはありません。
なので人と積極的に会って、いつ終わっても後悔の無い人生を過ごしたいと思っています。
様々な制限
私は退院しても、様々な趣味が出来なくなることが予告されています。恐らく大好きな登山やスノボ、スキューバはおろか水泳などの日課の運動の大半も出来なくなるんじゃないかと思います。マッサージチェアも全自動の麻雀卓もダメらしいし、体脂肪計すらNGらしいですし、腕立て伏せすらダメっぽいです。
アウトドア系大好きなんですが考えないといけません。最近は調理師任せが多かった料理趣味の復活とか、園芸とかもいいかなって思っています。ダメな事を考えるんじゃなくて、新しいを趣味考えるとワクワクしますね^^
リハ
生きる基本的なリハだけでなく、ADL系のリハビリも始まりました。前は色んな事が出来たので、たった2週間でこうなっちゃうのかって素人の私はびっくりしちゃいます。ADL系はおうちへ帰るための大事な訓練。しっかり必死にやろうと思います。私にとっては、そのためのここへの転院ですしね。
まーでも喋る系に全然障害が無さそうなのは幸いでしたね。けっこう覚悟してたんで私は運がいいですね^^
ゲーム
こんな感じなんで正直ゲームが出来るかどうか不安になってきちゃう。でもログインだけして、おうちでぼーっとして、出来たらおうちのハウジングくらい出来たらいいなーって思っています。ハウジングは最初は厳しいですかね。まーインだけでもしたいですね。
リアのおうちにも帰りたいですが、エオルゼアのおうちに帰るのも夢なので、希望を持ってここで過ごしたいと思います。
ブログLINK用の動画
ブログLINK用の簡単な動画です。
コメント
コメント一覧 (8件)
ありささんこんばんは。
危篤からの復帰おめでとうございます。念願の転院が無事に済んでよかったです。
FF14への復帰にはまだ時間がかかると思いますが少しずつ前進して回復出来るように祈っています。
ありがとうございます!
すいません転院先でまたしにかけてましたw
もう少ししたら更新とか再開しますね!
ありがとうございます!
SNSにコメントしてる時から
「一体何者なんだ?」と思っていましたけど
やっぱり「何者なんだ!」(笑)
あたしは、療養中というか永遠に食事制限と
塩分控えてねレベル(今はw)
出不精なので自業自得ですけど…
胆嚢摘出した時、身体に負担が少ない方法だったのですが目を覚ますと、結構キツかった(ToT)
主治医から「入院」って言葉が出る度
「しません!」って逃げてます(完治しないので)
他府県に住むって想像出来ないわ(大阪府民)
そうなんですね!
お塩の制限がかかるとお塩が調味料としてすんごい重要だったのが分かるんですよね!
摘出されてたんですね><
予後だいじょうぶですか?
お大事になさってくださいね!
ありがとうございます!
少しづつ快方に向かってるようで安心しました
リハビリ頑張ってください
ありがとうございます!
すいませんが手人先でまた死にかけててやっと少し回復しました!
あと1~2週間したらまた更新とか再開しますね!
いつもありがとうございます!
ありささん、ご無事で本当に良かったです!
本当に本当にお疲れ様でした。
経過が順調で転院も出来たとの事、私もとても嬉しいです。さすがありささんです!
あと、夢の内容がとても素敵でした。
私は臨月には入りましたが出産はまだこれからです。
私も元気な子供を産めるように、いつか遠い未来孫を抱くのを夢に今を頑張ります!
こうやってまた想いを伝える事が出来る奇跡に感謝です。
リハビリも大変だと思いますし、思うように動けないストレスもあると思いますが
ありささんのポジティブパワーで1つ1つの壁を乗り越えていけることを祈ってます。
これからも陰ながら応援してます!ふぁいとだー!( ^ヮ^= )
みみたぼちゃんありがとうございます!
またちょっとしにかけててお返事できなくってごめんなさい。
でもお陰様でなんとか回復してきました!
出産予定日はいつ頃なんですか?
私テラでおもしろくってテラの後も優しくしてくれるたぼちゃん大好きなのでお産ぜったいぜったい安産になって欲しいんです
今Xとかが読めないんで状況分からないですがまた気軽にコメントとか下さいね!
心配してくださってありがとうございます。
Wでかかっちゃってちょっと協力でした笑
あと1~2週間くらいかかっちゃうみたいなんですけど私の更新もう少ししたら再開するつもりりなんでまたよろしくお願いします!
ありがとうです!